言葉のパズル𓂏

アニメ&雑記ブログ

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I think that grammar is very important when it comes to expressing words, but the English we learn in Japanese schools is far from that of native speakers, and we cannot use it at all. Creativity is very important in English, and if you include items that the sender will notice, even if there are some grammatical errors, my heart will reach you.

 

言葉の表現において文法はとても大切だと思いますが、日本の学校で習う英語はネイティブとはかけ離れていて、全く使えません。英語は創造性がとても重要で送り手が気付くアイテムを散りばめれば、多少文法に誤りがあっても私の心は届く筈。

 

(英訳後の通訳)

言葉を表現する上で文法はとても大切だと思いますが、日本の学校で習う英語はネイティブの英語とはかけ離れており、全く使えません。英語は創造性がとても大切で、文法的な間違いがあっても送り手が気づくような内容を盛り込めば気持ちは届きます。

ーーーーーーーーーーーーこれはなかなか良い通訳でした、原文とほとんど変わりありません。

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自分の存在を確認しても、あの未来には戻れない。たとえ失意の海に飲み込まれても、大切な人を想い続ければ、光の矢は明日を指す。

 


Even if you confirm your existence, you can't return to that future. Even if you're swallowed by the sea of ​​disappointment, if you keep thinking about your loved one, an arrow of light will point to tomorrow.

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In fact, I can't speak English at all, and I'm trying to write poems in English even though I can't speak Japanese well,
The language and music go well together, and it's home ground TIKTOK. I make it almost with my senses.

 

実際私は英語は全く喋れないし、日本語もままならないと言うのに英語の詩に挑戦しています、
言葉と音楽はとても相性がよくホームグランドTIKTOKです、ほとんど感覚で作っています。

死について20230611

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失敗や挫折は誰にでもある事、でも私は深く深く考えてしまう、遺伝的要素が強いのかも知れない。

父は中学の時他界、叔父は私が32の時他界その直ぐ2週間後祖母が他界、父と叔父は自死、寝たきりの祖母は叔父の他界による残念死。

家族の話し合いにより、私が叔父の他界を伝えたのです、家族は薄々感じていました、末っ子である叔父を祖母はとても可愛がっていましたから、気負いで命が尽きてしまうのでは無いのかと、私は進んで祖母に伝えたのです。

 

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案の定祖母は伝えたその時より、食が細くなり1週間後に叔父を追うように旅立ちました。

祖母に言葉を掛けたことに、罪悪感はありません、やはり私の信念による判断は誰にも揺るがす事が出来ないのだと、気付いた瞬間でもありました。

 

この文章による読者様の中には、寝たきりである祖母に黙っていても、良かったのでは?そんな意見もあると存じます。

 

ご確認致します、死の裏側には生きるが存在し生の裏側には苦悩が存在します、死を悟った時にはもう生には戻れないし、生を考えた時には苦悩が付きまといますこの事が理解出来ないのであれば、まだその時が来ていないのです、その時は誰にでもいつか訪れます。

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私の中にも『トドメ』と言う言葉が心に突き刺さりましたが、選択に辿り付いたのは祖母であり、ただただ死期が訪れたのかも知れません。

私の父方の家系は他人より少しだけ死を考え続ける家系。

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カミ様(小説)

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産声を挙げ最初に目にする人間は、愛しき母だった。

大抵の人間ならこの答えに矛盾は無く、幼子には疑問も無いに違いない、生命の全てを無意識に委ねるのだから、宿命はそこで決まってしまう。

 

子も母もお互いを選べないのは、自然界の法則であり人類の掟でもある、思想の優先権は母であり心の有り様も母の支配下に置かれる。

その疑問に気付くのは年を重ねた頃なので、もうその支配からは逃れられない、何せ逆らえば自分の生存にも関わるのだから。

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有り様と生き様のギャップに苦悩しながらでも、100円玉を握り締めコンビニに笑顔で向かう私だった。

 

別に生活に不自由は感じられず、母の念仏のような思想論にうなずいていれば、生存は保証された。

後に矛盾と言う概念は蒼き春の頃気付くのだけれど、その洗脳に似た支配は鎖のように私を縛り付けてしまった。f:id:sengasuki:20230514125041j:image

 

 

 

 

 

死について20230511

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『最近不安の中の不安が甦りつつある、これと言った不安を指す訳では無いけれど、モヤモヤの形ですら無い不安に不安を抱く感じなのです。』

心が病んでいるとお思いかも知れませんが、私自身はまともだと自負しております、この世界に正解はなく他者の判断が正解とは限りません。

わたくしもある程度の不幸は経験済みですがその不幸はいつか通り過ぎてしまい過去となりました、不安は私の心を覆い尽くして深い霧の如く、私の心を支配しています。

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意味合い的には侵されているには似つかわしくは無く、支配が妥当だと決断しました。

不安を思うと闇に引き摺り込まれそうになり、身を任せたなら永遠の時を過ごさなければなりません、いずれ来る審理は怖くは無いけれど、霧の中に引きずり込まれるのは御免被りたいです。

 

意外に運動すればこれまでは、消えてなくなっていたけれど、今回のは濃霧注意報並みの霧なので解決方法を探しています。

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何かにすがるのもアリだろうけど、気分が低い時は何をやるのもおっくうになってしまう、所詮友達に相談しても同情は惜しみなく頂けるけれど、自分で解決しなければいけない案件だし。

ことごとく可能性を自分から消し去るのも霧のせい。

 

断言できるし。

 

 

 

 

 

 

 

生きる

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『生きる』漠然としないこの言葉は年若き胚には理解し難き言葉、稀に理解出来たとしても経験が不足し実態感には及ばないでしょう。

生きるは死と隣り合わせ、体力、精神力、生きる力に満ち溢れている若者には、頭で理解出来たとしても遠き言葉。

 

私にとって生きるとは現在を実感する事、空気を太陽を風を美味しさを体感し生きているのだと悟る事、その体感には精神論は要らずただただ五感で感じる今を確認する事です。

 

純粋に自分自身の生を感じたその先に、未来があり過去の精算が出来るはず、生きるを足し算引き算で考えるのは愚か、生命は神秘であり自分の意識は自分自身でしか、感じる事が出来ない。

 

自分自身の人生において後悔があるのなら、今現在読者は過去に生きる人になっている。

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考えるは生きるにとって必要不可欠だけれど、考え方を誤っては自分自身を過去に縛ってしまう、多くの方は他者によって不幸に足を踏み入れたと勘違いしがち、自分の人生は自分でしか先に進めない。

人生に残念な出来事があるならば、それを失敗ととらえず経験と置き換えるのが良いと思う、思考の転換は簡単ではないけど先に進むには必要なテクニック。ポジティブ、ネガティブで片付けずに自分に起きた事象を受け入れ先に進むのが最善だと思う。

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情景と風景と心の誘い

 

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視覚による感じ方は人それぞれだ、作者が狙って作った想いは、見る人にどう感じるかは解らない。

解らないからこそ、何回でも絵を描き写真を集める、作者の真意は100%伝わらないかもだけれど、ほんの数%伝われば良いと思っています。

 

ただ、作品をむやみに並べても伝わらないし、物語を考え過ぎて意図的にワンシーンを構成しても良いものは作れないと思う、大切なのは作り手の心を乗せる事に思える、そんなに簡単な事では無いけれど信念的な感じの思いを、少しずつで良いので心に構築して行くのが大切、それが何十年掛かってもいい。

 

何より自分自身の心の状態が重要で、状態と言っても爽やかな心、清々しい心と言う事でもない、基本心で思う事は誰にも迷惑が掛かる訳でもなく、その思いを行動に移したとき良い事象、悪い事象となるのだから、思っている自体は別に自由だと思う。

 

自分の作品に迷いがあるなら、迷いながらでも先に進んだ方がいいと思う、私自身も迷いながらここまで来たのだから。

 

 

 

死について20230426

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現在思っている事を書こう、また月日が流れれば考え方も変わる、真実は死ぬ瞬間まで解らない。

私も55年間生きてきたけれど、平均寿命まで残りわずかなので、今の考えを書こうと思った、誰れしにも訪れるこの誓約は生物ならば皆平等に訪れる、確かに現世では楽しい悲しいはあるけれど、終わりと言う底知れぬ恐怖と向き合うには年齢は関係ない。

 

その時期が近付いたからといって、悟りじみた物も感じずやはり正直怖い。

 

私は20の時死の体験をしたけれど、そこは現世で語られる場所では無かった、そこは無の空間、感情や感覚も無くただ意識だけがある感じ。

 

そこでは考える行為が無い、それは当たり前何せ意識だけが存在して脳は動いていないのだから、生身の体ごとそこに行くと考えるのは間違えだと思う、好き嫌い上手いまずいは肉体で感じた情報が脳で処理され始めて感情となるのだから。

 

見せられる夢に近いかも知れない、自分が見たい夢とは違いただ映像を見るが如く、現世のスチュエーションが流れている、その映像に感情は流れず、ただ見ている。

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私は宗教家や学者では無いので、この体験を解き明かすつもりはない、ただ純粋に近づく誓約と向き合いたいだけ。

そこを解明した所で何も意味は無く、誰も信じてはくれないだろう、体験記でも無く自分の心の整理用に書いているだけだ。

 

何も考えずに誓約の時を迎えても良いのだけれど、せっかく人間は思考の生き物なので抗ってみたいと思った。

 

意識ここが重要だと思う、思考とは違い意識を感じる事の出来る人が何人いるのだろうか、これは本能と深く関係しているように感じる、生きると言う行為はお腹が減り食事を口に運ぶと言う無意識から始まる、無意識も意識一つだと私は思う。

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辿り着く場所

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色々周りこのブログへ辿り着いた方へ。

 

このブログでは芸術を通して私自身の心の奥底に眠る、人間の本質を解き明かしていきたいと思い開設致しました、人間は本来一般的に言う優しい生き物では無いと考えます、私自身も残虐な部分があると承知しています。

 

でも、日本の法律を犯す様な犯罪はしておりません、心に宿す闇の部分があると表現しています、

何の為に生き、私の生存理由を探しています。

あなたもそうですが、人生は一度きりしか進めません例えあなたが望まない人生でも、それはあなたの人生ですから仕方ありません、でも、人間には向上心が御座います、今が最悪でも未来を目指して進んでください、きっと今がどん底の筈ですから。

 

良き人生はずうっと続く筈が有りません、隣の方が幸せそうでもその方の心の奥底には闇が隠れているかもしれません、人間は自分の命を守ると言う生存本能が備わっています、だからこそ他人を信用できないとか、自分の幸せを願うように出来ています、この地球で人類が謳歌出来るのは、その生存本能があるからとも言えます。

悪い方向に進めば戦争と言う形になってしまいます。

 

善悪という世界道徳から外れるかもしれませんが、人は考えると言う自由があります、この先の人生が豊かなものとなる事を願っています。

 

人や神仏に頼るのではなく、先ずは自分と向き合い己の心と向き合うために、このブログを始めました。

自分の真意を確かめてからでも、人を信じ神仏に寄り添っても良いと私は考えます。

自分の本性を探す為に芸術を志しています。

 

 

 

裏と表❶

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二分する言葉は思想の中に分裂を生む、それが良し悪しかは本人の属性に寄与する。

教育では道徳を学び世間では法律を刷り込まれる、本人の意思とは関係なく情報を与えられその行いの判断材料とし、間違えば法律に基づき罰せられる。

 

ここで間違えてはいけないのは、法律の良し悪しを語るではなく、現状を認識して自分の今を知りそれに適合し、全てを受け入れ生きるを題材にして私なりの解釈を書こうとしている事だ。

 

人生を語る上で最も大切なのは自分を知る事、他人の意思や心は永遠に解らないのだから、素早く諦めが肝心だと思う。

 

暮らしの中で真実の自分を知ろうとするには、自分との対話が不可欠となる、まるで他人と話すかの様にではなく、深層の自分といかに本質に近づき対話できるかが鍵となる、その為には自分の信念的思考を育む事が大切となってくる。

 

信念と言っても深く考察するのではなく、方向性と言った軽い意味の事、信念は進化し変わっても何ら問題ないのだけれど、変えた時重く受け止めずに柔軟を持って先に進む事を提案する。

 

曖昧な言葉が続くけれど、命令系の言葉を使うと、その言葉に引きずられ心が誘導される事があり、本来の意思ではない方に進む事があるから、結論では無く考えを張りめぐして欲しいと願います。

 

私の大義は「自由」それを前提に読んでいただければ、幸いです。