現在思っている事を書こう、また月日が流れれば考え方も変わる、真実は死ぬ瞬間まで解らない。
私も55年間生きてきたけれど、平均寿命まで残りわずかなので、今の考えを書こうと思った、誰れしにも訪れるこの誓約は生物ならば皆平等に訪れる、確かに現世では楽しい悲しいはあるけれど、終わりと言う底知れぬ恐怖と向き合うには年齢は関係ない。
その時期が近付いたからといって、悟りじみた物も感じずやはり正直怖い。
私は20の時死の体験をしたけれど、そこは現世で語られる場所では無かった、そこは無の空間、感情や感覚も無くただ意識だけがある感じ。
そこでは考える行為が無い、それは当たり前何せ意識だけが存在して脳は動いていないのだから、生身の体ごとそこに行くと考えるのは間違えだと思う、好き嫌い上手いまずいは肉体で感じた情報が脳で処理され始めて感情となるのだから。
見せられる夢に近いかも知れない、自分が見たい夢とは違いただ映像を見るが如く、現世のスチュエーションが流れている、その映像に感情は流れず、ただ見ている。
私は宗教家や学者では無いので、この体験を解き明かすつもりはない、ただ純粋に近づく誓約と向き合いたいだけ。
そこを解明した所で何も意味は無く、誰も信じてはくれないだろう、体験記でも無く自分の心の整理用に書いているだけだ。
何も考えずに誓約の時を迎えても良いのだけれど、せっかく人間は思考の生き物なので抗ってみたいと思った。
意識ここが重要だと思う、思考とは違い意識を感じる事の出来る人が何人いるのだろうか、これは本能と深く関係しているように感じる、生きると言う行為はお腹が減り食事を口に運ぶと言う無意識から始まる、無意識も意識一つだと私は思う。